みなさん初めまして。
masatoshiといいます。
このページでは「自分がどんな人間であり、何をしてきたのか」について、ずらーっと紹介しています。
時系列で簡単に
- 1990年2月2日生まれの31歳バツイチ
- 理系国立大学卒業
- 戸建住宅販売会社に営業職で入社するも、メンタルがやられて半年で退職
- フリーターしながら公務員予備校へ。日中は勉強、夜は居酒屋で働く苦学生
- 国家公務員一般職に合格
- 検察庁に7年間勤務し、2021年3月31日付けで退職
- 翌4月1日からWeb制作フリーランスとして活動スタート
- 独立して9ヶ月目の2022年1月現在、月収25万円ほどに
簡単に自己紹介をするとこんな感じです。
31年間の人生、結構色んな経験を積み、波乱万丈だった気がします。
2回転職してるし(2回目は正確には独立)、民間企業から公務員になって、そこから独立というパターンはかなり稀じゃないでしょうか。
公務員している間に、結婚して離婚しました。
子どもが生まれるという経験と、家を買うという人生の一大イベント以外は、一通り済ませましたねw
このブログでは
- 公務員からフリーランスになるにあたって準備してきたこと
- 公務員と副業
- フリーランスとしてどうやって生計を立てているのか
- フリーランス処世術
- フリーランスとお金・仮想通貨投資の話
を発信しています。
本ブログを訪れた皆さんに対して
自分も今の環境から抜け出せるかもしれない…!
自分も挑戦できそうだ…!
というような、背中を押せるような発信をしていきます。
- 自分の人生は自分でデザインする
- 人生で最も大切な仕事は思い出づくり
これらは自分がとても好きで大切にしている言葉です。
一回きりの人生を後悔しないで生きるために、組織や時間、働く場所に縛られないライフスタイルを獲得したい。
そんな思いで毎日を過ごしています。
共感できる方は、当ブログの各記事をご覧いただき、自分らしく生きるTipsを見つけてもらえたらと思います。
それでは、自己紹介としては十分な気がしますが、生い立ちからつらつらと書いていますので、興味のある方は引き続きご覧ください。
公務員を辞めた理由などをまとめた記事はこちらから読めるので、興味のある方はどうぞ◎
生い立ちと経歴

男三人兄弟の末っ子です。
甘やかされて、ぬくぬくと育てられた記憶しかありません。
高校までは実家で過ごし、大学生になったタイミングで名古屋で一人暮らしを始めました。
波乱万丈?な社会人生活の始まり
理系国立大学卒業後、戸建て住宅の販売メーカー(営業)に就職。
当時、メーカーに就職する人が多い中、戸建て住宅販売というtoCの仕事を選択したのもちょっとアウトローでしたw
なぜ戸建て住宅販売を目指したかというと、「人生に一度しかないであろう高額な買い物に携わる」ということにやりがいを見出せそうだと思ったから。
そして、元々インテリアも好きだったから。
要するに、「やりがいと興味」がきっかけで入社しました。
その結果、半年で辞めましたw
いわゆる「住宅展示場」に配属され、営業所単位で勤務する形ですが、そこの店長や同じエリアの先輩社員の体育会系のノリがすごくて。
平日休みなのは百歩譲っていいとしても、「店長が帰らないと帰れない」っていう謎の風習があったり。
お盆休みに開催された日帰り旅行には強制参加で、われわれ新入社員は、先輩社員のおもちゃ扱い。
ケツバットされたり、「スイカの代わりだ」とか言って叩かれたり、ロケット花火を撃ち込まれる標的にさせられたり。
あれは酷かった。絶対に忘れんし許さん。
そんなこともあって、やってられないから辞めましたw
その後、大学生の時からお世話になってたバイト先に頼んで、フリーターとして生計を立てながら公務員を目指すべく、予備校に通う日々。
公務員になろうと思ったのは、とにかく安定しているから。
ただそれだけw
土日祝日の休みが保証されて、雇用も保証され、とにかく安定した職業につきたいとの一心で公務員を目指しました。
だから、公務員を目指したのは「やりがい」よりも「安心して働ける労働環境」。
そんなわけで8月末に会社を退職し、9月の一ヶ月間はちょっと休憩しながらフリーター生活を開始。
10月から日中は予備校に通いつつ、夕方から日付が変わって午前1時過ぎまでバイトの毎日。
これはこれで結構しんどかった。
公務員試験は絶対に一度しか受験しない
と腹を括っていて、もし受からなければその時に考えようと思い、可処分時間の大半を勉強に充てました。
その結果、国家公務員一般職ということで、検察庁から内定をもらいました。
採用が決まった翌年度の4月1日から、国家公務員一般職として新たな一歩を踏み出します。
公務員に求められるものとは果たして・・・悩みは尽きない
若手のうちは基本的に毎年部署異動があり、様々な部署で経験を積みながら庁全体の業務をざっくり理解しつつ、適性を見極めていく流れ。
いわゆる主任クラス以降から徐々に方向性が定められていく形で、コロコロと部署異動をしながら仕事を覚えていく日々を過ごします。
自分が配属された部署は、良くも悪くも忙しくない部署が多くて、正直めっちゃ暇でした。
今日って仕事何かあったっけ?
て日もあったくらいw
公務員って、いわゆる「仕事のやりがい」をどこに見出すのかがとても難しい。
利益追求するわけじゃないし、公共の利益のために、誰かがやらないと困るから公務なわけで。
仕事そのものにはもちろん責任があるわけだけども、責任感を持って毎日仕事できるかって言われたら…難しい。
一応、割り振られた業務の中で工夫を凝らし、やりがいを見出す努力はしていました。
入庁する時も
この仕事がしたい
は叶えられるか分からないし、
やってみたら実は違った
というミスマッチが起きるのも避けたかったから、業務内容に憧れや興味を持つようなことはせず、「人間性」にフォーカスをあてて役所選びをしていました。
前職での失敗と反省を活かしたつもりですw
やりがいを見出す努力はしながらも
一日がまじで長いわー
って感じることが多く、公務員になったらなったで悶々とすることもしばし。
そんな中で、とある転機が訪れました。
それが
結婚
です。
同じ役所の一つ上の先輩(年齢は一つ下)で、交際期間約1年半で婚約、その2ヶ月後から同居をスタート。
交際してちょうど2年経った日に入籍し、その翌年に結婚式を上げました。
元奥さんが、職場のおっさん連中に人気者の方で、かたや自分は冴えないしがない一般職員でしたので…快く思ってない人もたくさんいたことでしょうw
ただ、幸せな家庭生活はそう長く続かず、2021年5月に離婚することが決まり、その年の7月から別居を開始し翌8月に離婚届を提出しました。
元々、自分はコミュニケーションを取るのが下手なんですよね。
常に周りの目線を気にしてしまう小心者だし、人見知りで、嫌なことがあるとすぐに顔に出てしまう厄介な性格の持ち主。
自分の意見もなかなか言えなくて
- これを言ったら相手はなんて思うんだろう
とか、
- 何か反論されてもそれに受け答えられるだろうか
とか、色々考え過ぎちゃって、思ってることが主張できない性格。
話が少し脱線したけど、自分のそういう性格もあって、相手に不満を抱かせることも多くて。
夫婦として今後も一緒に生活していくのは、お互いのためにならないということで別れました。
不貞行為があってとかそういうのじゃないから、お互いちゃんと納得いくまで話し合って、円満に別れました。
この時、初めてちゃんと他人と心から向き合えた気がして、この経験はほろ苦ではあったけど、とても貴重な経験でした◎
- 伝えて
- 任せて
- 許容する
これを学びました。
「自分らしい人生」を再スタート
身辺整理もひと段落してきた頃
- 今までの人生は果たしてどうだったのか・どんな人生を送ってきたのか
- これから自分はどうしていきたいのか
といった
を考えることが多くなりました。
今までの人生の転機を振り返ってみると、志望大学を決めるのも自分で選んで、新卒の入社先も自分で選び、会社辞めて公務員目指すことも、結婚することも、離婚することも、全て誰かに相談することなく、自分の頭で考えて決めてきました。
「自分で決めたこと」だから決断に責任は持たないといけないし、失敗したと感じるのであれば、それは自分の考えが甘かったり浅はかだったりしたからで。
今思うと、考えているようで全然考えられていなかったり。
詰まるところ、「よくある人生だな〜」ってw
今までの人生に満足いってないわけじゃないけど、なんかあらゆる経験値が足りないというか。
もっといろんな経験したいし、自分の可能性を探ったり、日本全国を旅行したり、世界遺産を巡ったり、このままでは、余命宣告された時に、今のまま過ごしていては絶対に後悔するな〜って。
その結果
公務員辞めるか
って決めました◎
公務員って、犯罪でも犯さない限り辞めされられることはないし(普通の企業なら一緒か)。
本当に安定してるし、収入も一定程度は確保されてるし、退職金も一応しっかりしてる。
だけど、今の仕事は替えが効くから、自分じゃなくても誰でもできる仕事。
根拠に基づいて仕事してるからね。
やり方は決まってるし裁量もない(正確には僅かながらにある)。
- これ、無駄やないですか?
って思うこともしょっちゅうあるし、
- この報告って何のためにあるの?
ってもの沢山ある。
実際に働かないと見えない部分って本当に沢山あるし、このまま60歳まで、むしろその時には定年が70歳にでもなってるのかな?それまでこの仕事続けるのは無理だなって。
時間の使い方として「これじゃない」という結論に。
やりたいことやろう/今しか挑戦できないことをしよう
この際ガラッと環境を変えて、新たな自分の人生をスタートさせよう
って決めました。

手に職付けて、自分の力で稼げるようになることこそ、本当の意味の安定では?
って結論。
これこそ「答えのない問題」だから、「自分で考え抜いた結論=自分の意見」こそが自分にとっての唯一の正解なんだけど、この時ばかりは信頼できる人に相談しましたw
退職を決めてから上司への報告、具体的なアクションプラン、プログラミングへの鬼のようなコミットと挫折、再度決意を改めて覚悟が決まってフリーランス独立を目指す、といった奮闘をしていますが、これは別記事でまとめているのでそちらをご覧ください。
ここの部分を書いているのが2022年1月22日ですが、新しい人生を踏み出してまだヒヨッコだけど、本当の意味で「自分らしい人生」を求める土台ができてきたのかな〜って。
大変だけど充実した毎日を過ごせています◎
もう少しプライベートな話

思い返すと、嫌なことから逃げてきた人生とも言えるような気がしていて。
だけど…
嫌だったら逃げたら良くね?
って思いますw
だって人生一度きりだし。
向き合って乗り越えようとしても消耗するだけ(仕事は特に)だし、乗り越えた先に何が得られるか分かんないし、合ってないなと思うなら…そこは戦略的撤退です。
自分は、誰かと協働して何かするのが苦手だと思う。
コミュニケーション下手だし、雑談力ないし人見知り。
そんな自分でも勝負できる土俵・仕事を探して、やってみたいと思ったことを挑戦するのがこの先の2・3年ですかね。
公務員辞めたのも、プログラミングの学習始めたことも、このブログを始めたことも、一見して危ない橋を渡っているようにしか見えないけど、ドキドキの中に少しワクワクを感じるような、そんな心境。
根拠はないけど、ワクワクしてるなら多分大丈夫w
このブログも大切に育てて、読者さんにとって価値のあるものとなるように、実体験ベースで「公務員×〇〇」のTipsを届けていきたいし、このブログが自分の人生を振り返る自伝としても残るように更新を続けていきたい。
まとめ|大切にしている言葉3選

いかがでしたでしょうか。
自分という人間について、割ともれなく紹介することができたと思います。
最後に、大切にしている言葉を3つ紹介(2つは冒頭で紹介していますが)。
それが
- 楽を求めると人生はつまらなくなり、楽しいを求めると人生は豊かになる
- 自分の人生は自分でデザインする
- 人生で最も大切な仕事は思い出づくり
の3つです。
「楽を求めると人生はつまらなくなり、楽しいを求めると人生は豊かになる」
これは、結婚式を挙げた際、心友のお母様から頂いたとても素敵なお言葉です。
今でも部屋に飾ってあります。
つい、楽をしてしまいがちなのが人間の性。
「常に楽しいを探し求める」という、行動の指針として忘れてはいけない大切な言葉として心に留めています。
「自分の人生は自分でデザインする」
これは、2020年の年始に読んだ本で見つけた言葉です。
「投資家みたいに生きろ」という書籍ですが、他人任せにしない、行動するのも選択するのも自分、ワクワクした方を選べる人生を、というメッセージを受け取った気がしていて、この本の中で紹介されていたフレーズが今でも印象に残っています。
「人生で最も大切な仕事は思い出づくり」
こちらは、「DIE WITH ZERO」という書籍で最も印象に残った一節です。
「何も残さず0で死ぬ」という概念、自分の時間の最大効率を求める考え方、お金を価値を最も引き出せるのは今この瞬間。
お金を経験や価値に変えることの重要性を説いています。
この書籍は、2021年に読んで最も良かった書籍として紹介しているので、興味のある方はこちらの記事をご覧ください。
一人暮らしを長いこと続け、結婚して離婚して、民間の会社から国家公務員に転職してさらに辞めてフリーランスになるという人生を送っているこんな人間です。
それなりにいろんな経験を積んできたので、
- 公務員としての働き方に迷っている
- 将来に漠然とした不安がある
といった読者の方の背中を押せるような、再現性高く実践できるノウハウなどの有益な情報をお届けします。
自分の失敗を踏み台にしてもらって、あなただけの人生を踏み出す一歩になれば幸いです。
以上!
それではまた。